罪悪感
※システィック・ヒグローマと診断され、次回のエコーを待っているときに思ったことの日記です※
-------------------------
お腹の赤ちゃんがシスティック・ヒグローマと診断され、色々な思いが頭を駆け巡りました。
まず最初に思ったことは、「先天性の異常があるなら妊娠を諦めたい」ということでした。
私には、ダウン症や先天性異常のある子どもを愛し育てる自信がない。
みんな健康で、子供たちは賢く優しい子で、夫婦は仲良く、皆でたくさんお出かけして旅行もしたい。それが私の理想の家族の姿でした。
そして子供たちが手を離れてきたら夫婦でデートをしたり、自分の時間をたくさん持ちたい。
皆が望むであろう当たり前の理想だけど、それが永久に叶わなくなるのはいやだ。
冷たい母親だと思われると思います。
私自身もそう思いますし、そういう自分を軽蔑します。
でも、素直に思ったことを書きました。
次に思ったことは、「どうか健常に生まれてきてほしい」。
嚢胞もNTもなくなって、なんの異常もなく大きくなって生まれてきてほしい。
元々子供は苦手だったけれど、生まれてきた娘はたまらなく可愛い。
だから、きっとお腹の子も生まれてくれればどんな状態でも愛おしいはず。
ただただ、お腹の子が無事に生まれてほしい。
この2つの思いがずっと、ぐるぐると頭の中を巡っていました。
自分の勝手な願望と、母としての思いがぶつかり続けていました。
お腹の子の命を親が決めるということに対して、そんな選択が許されるのかと悩みました。
考えるほど苦しくて、もし次回のエコーでお腹の赤ちゃんの心臓が止まっていれば、苦しい選択をしなくて済むという最低な考えも頭をよぎりました。
娘を生んで少しずつ親になってきたつもりでした。
でも、私はこういう自分本位で最低な人間だった。
そうだった、元々こういう奴なんだった。大して変わってなかったなと自分にうんざりしました。
一方夫は愛情深く、家族思いな人です。
毎晩寝る前に私のお腹をさすって、
「安心してゆっくり大きくなるんだよ」
「お姉ちゃんもパパもママも、生まれてくるのを楽しみにしてるよ」
「愛してるよ」
と、優しく言ってくれます。
その言葉を聞くたび、母としての暖かく愛しい気持ちが沸いてくると共に、
「夫にひきかえ、私はなんて最低な人間なんだ」という罪悪感で胸が苦しくなります。